東京バンド飯

北海道から上京したのは今から21年前の事。地元に戻ってサラリーマンやって、あの頃のことをたまに思い出す。日本の各地からプロミュージシャンを志して集まった4人組は東京という巨大な都市の中で必死にもがいた。インターネットが普及してない当時、いったいどうやって頭角を出すか? そのための近道は無く、地道にライブを重ねてファンを増やし段階的に成長していく以外はどんなに姑息な手段を使おうがほとんど見向きもされない。何故ならライブハウスに足を運ぶコアなリスナーは、耳が肥えているのは勿論、ステージング、MC、衣装、打ち上げ等での振舞い方に至るまで、一切の誤魔化しが効かないからである。たとえ一度や二度足を運んでくれたとしてもバンドとして在るべき熱が維持出来なくなった時点で、面白いぐらいファンが離れていくことも経験した。本当に厳しい世界である。学生時代に夢見た世界は雲の上まで高い壁の向こう側にあった。甘くない。そんなことわかっているつもりだった。先ず何をどうすればいいのか?こんなにも人や物に溢れているが、名も知らぬ他人だらけの東京で。ライブハウスに出演。そう、これを積まないと何も始まらない。どこでやるか? 有名なハコ(ライブハウスの呼び方)は幾つも存在する。電話一本で金払えば出演できる。笑われる。そんなことはあり得ない。所謂、登竜門となっている有名なハコに出演するにはこうだ。当時の話ではあるが、先ず出演にあたりオーディションで選考、出演のカタチとなるのだが、はじめはそのステージにすら立つことも許されない。音源によるテープ審査なるものがオーディションの前のオーディションとなる。要は自宅やらスタジオでせいぜい8トラックの録音機を使いカセットテープにオリジナル曲を詰め込んだもの。デモ音源、デモテープと呼ばれバンドの名刺代わりになる。これを受付け、もしくはハコの事務所に直接、対面で渡してくる。郵送では郵送という妥協した手段をとった事で、まず聞いても貰えない。それほどに重きを置く。何に?…そう、バンドの本気度、熱量を試される。音源の審査基準はハコのブッキングマネージャーにより違いはあれど基本的な着眼点に大きな差はない。曲、歌、バンドカラー、演奏技術、アレンジ力…点で見てしまうと漠然としてぼやけてしまうが、格好良さ、聴きやすさ、新しさ、抽象的に感じるセンスの部分と演奏力や歌唱力が高い水準を満たし尚且つバンドが示したいメッセージをどうゆう手法で印象としてどのように人に残しそして伝えたいのか?すなわちここで何を見いだすかは集約して言うと、人気が出て業界人に目が止まりメジャー契約…そこに至る為の可能性という名の原石の部分である。つまり目指す所はハコより更に上にあり、最終的に商品価値として有りか?売れる売れないはまた別の問題になるのだが、長い長い道のりの大事な第一歩目がこのデモテープによる選考審査なのである。  

次回ライブハウス出演へ続く。   

 

俺の機材

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ワーミーペダルは高価でサイズがでかい。飛び道具にしか使えない…。昔からずっとそのイメージのまま自分には不必要としてきた定番ピッチシフトペダル。今回はワーミーペダルの機能を持ちながらコンパクト化されたワーミーリコシェなるものをGETした!…率直に言ってこれはもう手放せないですw ほかのピッチシフターやオクターバーと比較したことがないのですが、今のところエフェクトとしての使い方半分、ドロップチューニングなどの音楽的定義に基づく使い方半分といった感じです。特にイントロのリフやアルペジオ、ソロパートなどではそうとう幅が広がりますね〜! この少しデジタル臭い感じをどうやってカッコよく生かそうかな…。 

 

裏社会を暴く①

テレビや新聞からの情報をそのまま全て信じることは危険であり一方的に流れてくる映像や言葉、私たちはなぜそれ自体に疑う気持ちを持たないのか?国民に考えることをさせない、疑うことをさせないように巧妙に仕組まれた支配層のトラップ。自分なりにではあるが、歴史背景、金、戦争、制度、法律、仕事、国境、テロ、政治、経済…。様々な方向から誰が世界を牛耳り、何が目的なのかを考えていこうと思います。

第一回目はメディアの情報について。

初回からタブーとされている国内で起きた大きな事件から入ります。1985年8月12日 日航ジャンボ機123便墜落事故。

520名の犠牲者を出したこの事故は圧力隔壁修理ミスが事故原因と公式に発表されたまま闇に葬られ未だに再調査はされていない。

公式発表されたのだから再調査の必要はないとする。つまり我々に考えさせる猶予を与えず、強引に事故として完結させないと不都合な誰かがいる。墜落までに何があったか? 2機の自衛隊機ファントムが追尾していた目撃例。犠牲者が撮影したミサイルのようなもの。フライトレコーダーに残された「オレンジエアー」なる機長の声。墜落現場を御巣鷹山とされているが実際には上野村、報道では一晩中行方不明とされた。通常ではあり得ない炭化した焼死体、そのすぐ近くにある木は焦げてもいない。神奈川沖にある垂直尾翼は現在も引き上げられていな

い。米軍の救援を日本政府が拒否。生存者4名を発見したのは自衛隊ではなく後から来た上野村消防団。などなど…あらゆる疑問が残されている。

次回また詳しく個人的主観で解析していきます!